
天井から溢れる一筋の光が、石蔵の空間を貫く。
「嘸旦」が意味するのは、音のない始まりであり、無我の創造。
遡ること約1年前。錦山窯のギャラリー嘸旦で開催された山崎円城氏率いるF.I.B JOURNALのライブセッションを機に、異なるアーティスト同士のコラボレートワークが実現した。工芸と音楽。「Calm(静)」と「Punk(動)」。この対照的ともいえる表現の中に、両者は“時間の芸術”という共通項を導き出す。
かつての「異端」が現代の「伝統」へと昇華していく現象は、伝統の系譜における本質そのもの。錦山窯のものづくりの原点を見つめ直すと共に、二人の表現者にこれからの「旦」を問う。

——動画「錦山窯 Beyond 120 Years」の中でも語られているように、「新しいものを積極的に取り入れることに躊躇しない」姿勢は、錦山窯のDNAとして根付いているのでしょうか。
𠮷田幸央伝統を礎としつつも、新しい表現と技術への柔軟な姿勢を大切にする点は、まさしくその通りです。先代にあたる私の父は釉裏金彩の技法を極め、人間国宝に認定されました。制作プロセスでいえば、職人の負担を軽減するために金彩づくりに攪拌機を用いたり、それまで使ったことのない材料を進んで試したりもしていました。
そんな自分も気づけば不思議な縁の中で、ソニーCSLとの協業である「Tomonami(トモナミ)」を活用した作品であったり、異なる分野のアーティストとの共同制作に挑戦したりしているという。要するに、工芸の世界をもっとひらかれたものにしていきたいんですね。

——本展のステートメントは、滞在制作中に生まれた詩作品「変わらないでいるために、変わる」に対するアンサーでもあります。
山崎円城自分たちが築き上げてきたものを、残すために変える。変わるために壊す。そうやって次に向かって進んでいくスタイルもそうですし、錦山窯という存在そのものがパンクなんです。僕自身は今回初めて工芸の世界に携わらせてもらったのですが、錦山窯が九谷焼の窯元の中でも特殊な存在であることはよくわかりました。そして皆さんが柔らかい視点を持った尖っている人たちだということも。幸央さんぐらい柔軟な考えを持った人でなければ、僕と一緒に何かをやるなんて発想には至らないでしょう。

𠮷田円城さんには、とても人を引きつける力があるんです。言葉の人だからかもしれない。彼の音楽を初めて聴いたとき、実に気持ちの良い音楽だなという印象を持ちました。そこで人物への興味がさらに湧いたんです。
今回の取り組みは異色の組み合わせとあって、工芸界の人からすると違和感を抱く人も少なくないでしょう。だからこそやる意味がある。彼との共同制作の面白さは、いわゆる伝統工芸の枠組みやコミュニティの中では生まれない表現と、反骨精神が中心にあるものの考え方。要するに我々とは真逆なんです。
例えば円城さんの音楽にはノイズが使われていたりする。しかしながら伝統工芸の世界ではそういったものを積極的に取り入れることはしない。完成形がある程度決まっていて、そこに向かって技術を高めていくんです。そういった意味では、音楽のような即興的な表現に対する純粋な興味や憧れというか——面白みは感じますよね。


——「創造性に影響を与える」という意味では、テクノロジーの活用も異分野アーティストとの共同制作も共通している?
𠮷田そう言えるでしょう。全く違うものを自分の中で吸収して違うエネルギーと影響を受けながら、新しい世界で自分がどうやって生きていくかの探求でもあるわけですから。
自分の中でタコツボ化していた思考パターンをどうやって打ち破るか。あえてAIを使わず、制作プロセスではなく創造プロセスにテクノロジーを応用することや、円城さんのような身体性を伴うアプローチによって生まれるもの。ある一定の年齢になって、表現のベクトルやステージを変えたいときにこれらを応用できるのは、作る喜びや楽しさにもつながっていくはずです。
山崎僕が手がけている作品は、膨大な時間の集積と人間の肉体から生まれるエネルギーがそのままテーマになっています。当初は「釉薬ペン」を使おうとしていたんですけど、自分の筆跡が出にくくて上手くいかなかった。試行錯誤するうちに、素地に千枚通し(目打ち)で言葉を彫り込んでいく方法を編み出しました。撥水剤を塗った状態で彫って、そこに釉薬を乗せて言葉が浮き彫りになるようにしています。
下書きはしていません。何も決めずにフリーハンドで描いているんですけど、僕がどれだけ自由にやり散らかしても、最後は幸央さんが必ず受け止めてくれる。そんな安心感がありました。
𠮷田次に私がこの上から色をかけていきます。すると下から文字が浮かび上がってくるようなイメージ。さらにこの上から金箔を貼る。果たしてこれが最終的にどうなるのか。
作品はすべて展覧会のために制作していて、ひじょうに大きいサイズもあります。見ていただくと分かる通り、二人とも面白がってやっていることは確かです。彼がどんなふうに仕上げてくるのかが毎回楽しみでしたし、そんなやり取りもまた新鮮でした。


——言葉を書く/描くことに加え、新たに生まれた「彫る」という表現について。
山崎焼き物の表面を削りながら彫っていくんですけど、けっこう硬くて力を入れないとちゃんと彫れないんです。一日の作業が終わるころには握力も指先の感覚もすっかりなくなっていて、身体じゅうが悲鳴を上げていました。
でも、簡単にやれることって簡単に忘れ去られるわけで。これくらいやらないと突き抜けた作品は生まれないし、錦山窯がこれまで培ってきた時間に対しても見合わないだろうと直感的に思ったんです。そこで自分がやれることを考えた結果、彫って描くというのがしっくりハマった。ペトログリフに近い原始的な手法で、取りつかれたように描き続けました。一字一字刻んでいく感じなので、言葉そのものの物理的な重さも感じられるんです。
𠮷田円城さんは気付いているかどうかわからないですけど、私はできるだけ今回の制作プロセスを見ないようにしていました。あまりにも大変な状況を目にしたら、大胆なことができなくなると思って(笑)。ベースの器を渡したら、完成まで放り投げている状態に近い。だから受け取ったときの熱量といったらこれはすごいですよ。
山崎型を超えていくには、高いエネルギーをもってやらなければいけないという意識は強く持っていました。僕がステージで吠えたりするのもそうですけど、そこに留まっているものや状況を変えなきゃいけないときっていうのは、ものすごくエネルギーが要るんです。
最近ある建築デザイナーの方と話した時に、僕のペトログリフ的なこのアプローチは、ロゼッタストーンのほうがより近い部分があることに気づきました。記号というよりも出来事を彫っていて、僕が彫っているのは言葉であり詩だから。かと思えば、試作で金箔を削ってタギングしていると、それを見た別の人からエッチング的だとも言われたり。当の本人は何も知らずにやっているだけなんですけどね。


——錦山窯での滞在制作を振り返って、印象に残っていることは?
山崎朝の散歩が日課になっていたんですけど、田んぼの畦道や水路沿いを歩きながら流れる水を感じているのが気持ち良かったですね。今でもあの景色がずっと残っています。
書きかけの詩を手直ししたら窯へ行き、職人の方と一緒に同じ空間で作業していました。そこからは一日じゅう、黙々と描いたり彫ったり。仕事が終わると、夜は皆さんと一緒に食事をしたりお酒を飲んだりして。家族が住む2階に泊めさせてもらっていたので、僕は皆が寝静まったころにシャワーを浴びて。それまでは寝床でひたすら詩を書いたり、次のライブでやる曲を覚えたり。滞在中はそんな日々を過ごしていました。
𠮷田今回の詩っていうのは、どのように作っていたのですか?
山崎錦山窯に寄せた詩は、自分がどんな言葉を書くべきなのか、見つけるべきなのかっていうのも模索しながら、極端な言い方ですけど吐くぐらいの気持ちで言葉を見つけてきた感じです。町をひたすら歩くことだけに時間を費やした日もありました。
詩って、家にこもって書いたりもするんですけど、書こうと思ってもなかなか書けなかったりする。フラットな状態のときって全然出てこないことも多くて、気持ちが揺れているときのほうが出てくるんです。

——コラボレートワークがもたらす新たな価値と、伝統と工芸のこれから。「旦」に込める思いとは。
𠮷田円城さんの言葉で強く印象に残っているのは、“音楽は時間の芸術”というものです。音楽とは、“今このとき”を大切にして流れに身を委ねながら、同時性の中で生み出される表現でもあるのだと。別の文脈からいえば、工芸もまた“時間の芸術”だと感じるところがあります。それは経年変化が器の景色になっていく美しさや、使うことで変化していく愉しさや喜び。このあたりは工芸的な価値観とも通じています。そう考えると、今回の大きなキーワードは「時間」でもあったということです。
山崎それでいうと「言葉」も同じですよね。僕が書いたリリックの1節も時間と共に変化し、今書いた詩も他者あるいは別の場所に迎え入れられたとき、その言葉に宿る意味も変わっていきます。さらにいうと、今回の作品は僕の言葉の上から幸央さんが金箔を乗せていて、それが剥がれ落ちるときにも違った意味が生まれてくるんだと思うんです。伝統工芸にしても音楽にしても、僕らは今、誰もやっていないことに挑戦しているんじゃないでしょうか。
𠮷田工芸界に関しては、伝統という言葉に縛られすぎず、もっとパンク(異端)で在れといいたい。私が考える「伝統」とは、守るとか繋ぐといったものよりも「育てる」という感覚が一番近いです。それぞれの時代や環境に合わせて、上手に大切に育てていく。うちの窯ではそういうイメージを持ってやっています。
それに同じ遺伝子を持っていたとしても、例えば私と父は全然違います。けれども共に伝統を繋いでいる感覚がある。一人ひとりが違った個性を持っているわけですから、あまり強制し過ぎるのは良くありません。職人には技術的な指導はしっかりするけれども、表現については一緒にやっていくうちに、いろんなことを学んでいってもらえばいいと思っています。そして、新しい世界に臆することなくどんどん飛び込んでいってほしい。若い人たちにはそんな期待感を持っています。
2026年8月 嘸旦にて